親の介護の責任がかかってくる世代です
親の介護。
妻の母親と現在同居している。
90歳。
認知症になっている。
時々、意識がはっきりしていることもある。
足腰が弱っているので、「夜中の徘徊」がないだけ、助かっている。
「これで、足腰がしっかりしていて、歩き回れたら、介護は大変だろうな」
と思う。
世の中には、そういう親を介護している人は多いはず。
皆長生きしますからね。
「長寿」
は人類の目標であった。
その人類の目標である「長寿」は、年々、寿命が延びてきた。
老人だらけ。
「いっぱいあるものは、値打ちが下がる」
という法則がある。
昔は、じいさん、ばあさんが少なかった。
若い人が多かった。
だから、老人が大事にされたのです。
ところが、ところが。
右を見ても、左を見ても、ジジ、ババ、ばかり。
相いう時代には若者は大事にされる。
希少価値がある。
では、町中にあふれんばかりの老人はこれから、どう生きればいいのか?
人生を考えることです。
仏教では「年を取る苦しみ」を4大苦悩の一つにしています。
だいたい、見た目にきたなくなる。
これがつらい。
ああ、17歳の美少年時代に戻りたいっ!!
鏡を見て、幸福な時間を感じた、あのころ。
シミやシワがない。
髪の毛も勢いがあった。
頭の回転も速い。
しかし60歳になると、当然ですが見た目にわるくなる。
これはうれしくない。
全くうれしくない。
ジュリーこと沢田研二。
先日の「コンサートのドタキャン問題」では、沢田研二のルックスにすいての厳しい意見がネットにあふれていた。
そりゃあ、いつまでも「ジュリー」ではいられないよね。
70歳なんだから。
そう、年をとると、頭と精神は子供の頃に戻っていく。
しかし、体は老人。
3歳の子供のウンチを始末するのは平気。
かんたん。
問題なし。
あたりまえ。
しかし、
老人の大便や小便を始末するのは、「強い責任感」「使命感」「義務感」なども必要になってくる。
3歳の子どものワガママは、かわいらしい面がある。
しかし老人のわがままは、かわいらしくない。
そういう老人を介護しなくてはならない。
いつまでも、元気でいてほしいのだが、そうはいかない。
日に日に「衰えてくる」のです。
1か月前までできていたことが、できなくなる。
大きな声を時々発する。
夜中でも、「いったい、なんだろうか?」と起こされる。
自分たちが子供の頃、やってくれたことの「お返し」なのか?
ここで、恩を返す意味もあるのかな。
精一杯、努力する。
親はいつまでも生きてはいられないから、「恩を返せるうちに返しておく」
悔いのないように、お世話をする。
60代からの楽しい生活が非常に大事
週刊現代や週刊ポスト。
30年くらい前から欠かさず読んでいます。
どちらも似たような内容ですが、週刊現代のほうが売れているようですね。
どちらの週刊誌でも、ここ数年取り上げられることが多くなったのが、
中高年からの「性」の問題。
それと、
「下流老人」問題。
年金が当てにならなくなってきたよね。
自分たちの年代では、年金問題は大きな関心事です。
「65歳になったら、もう働きたくない」
わけです。
たいていのサラリーマンは。
「もう、いいだろう」と。
「カアチャン、もう、体力の限界だよ」と。
もう、働きたくない。
職場での人間関係
お客様との折衝。
そういう煩わしいことを忘れて、のんびり過ごしたい。
こういった私の意見を言うと、
「いやいや、実際に仕事を離れると、することがないし、早くボケるぞ!!」
と心配してくれる人もいます。
が、
仕事をする上でのストレスのほうが大きいし、のんびりしたほうが楽しいに決まっている。
セクハラ、パワハラは決してなくならないでしょうからね。
少なくともあと10年、20年は。
スピリチュアルな分野では、前から言われていた「アセンション」。
次元上昇。
これは、もう、すんでいるという話です。
もう、次元上昇はしている。
新しい世界になっている。
なので、やがて、セクハラやパワハラのない、精神の豊かな時代がクッキリと姿を見せることでしょう。
夜から朝がやってくる時間帯ですね。
しかし、まだほの暗さも残っているわけです。
そういう状況の中で、残りの人生をどう楽しめばいいのか。
私の思うに、大事なのは3つある。
60代からの幸せ人生には大事なものが3つある。
①健康
②適度なお金
③快適な人間関係。特に妻との関係、
私はもともと「たいくつ」を知らない。
楽しいことは身近にいっぱいある。
マンガも楽しい。
ユーチューブも楽しい。
インターネットも楽しい。
雑誌を読むのも楽しい。
退屈など感じる暇がない。
なかでも、ユーチューブは素晴らしいね。
無料で楽しめるよね。
時間がたつのを忘れる。
ドラゴンボール関係の動画や昔のアイドルの動画。
無料で楽しめる。
こういうのがあれば、老後も退屈などしないわけです。
貴乃花に思うこと
貴乃花が相撲界から去る。
同情の声が多い。
私も気の毒にと思う。
どちらかというと「被害者」の立場だったのに、追い出される格好になった。
政治力が弱かったのか?
たしかに「言葉が不足していた」のでしょう。
自分から対話を拒んでいるような印象を持ちました。
息子が「父親は引退するんのですが、カッコイイと思いました」
というようなことを言っています。
身近な人物から尊敬されているので、実際に、なかなかの人物のように思えます。
しかし。
相撲協会からは好かれていなかった。
「偉大な横綱」
ということは誰もが認めるのですが、相撲を離れた場面では、交渉下手なのでしょうね。
相撲界を改革するはずでしたが、弟子の不始末が響いた。
一番大事な場面で、弟子が「やらかした」わけですね。
しかし、これも運命なのでしょう。
日曜日のダラダラが自分をあせらすのです
今日は日曜日。
ビューティフルサンデー。
何もする気が起きない。
「何かしなければならない!!」
「このままでは、ダメだ!!」
と思い。
まずは机の上を掃除。
本やチラシ類を机の上から撤去した。
パソコンだけ。
シンプル。
これで少し気が落ち着いた。
そのままパソコンでユーチューブ動画。
ドラゴンボールやゴジラ映画を見る。
そうしているうちに、
「運動不足が、諸悪の根源ではないのか?」
そういう気がした。
なので、スマホでラジオ体操を部屋で見ながら、体操を3分程度。
3分やっただけで、ハードな気分。
筋肉が衰えているのでしょう。
加えて、体も硬い。
こういう「ラジオ体操」習慣を3か月続ける。
そうすると、何か、意欲のようなものが生まれてくるやもしれない。
ヤル気や意欲、そういうものは筋肉が作り出すのでしょうから。
ベッドのうえでゴロゴロしていて、やる気が起きるはずもなし。
気分転換にラジオ体操はいいアイデアだったかも。
習慣にしましょう。
習慣に。
毎日の軽い運動が、人生を良い方向に進めてくれるキッカケになるはず。
ラジオ体操と並行して、柔軟体操も加えよう。
体が硬いことはすなはち、老化の指標となる。
赤ちゃんは柔らかい。
90歳の爺さんの体は固い。
できるだけ柔らかいほうが良いのは当然ですよね。
人生に「もう一花咲かす」気持ち
人生に、もう一花咲かせたい。
60歳になってから、家にいる間はずっとベッドの上でゴロゴロしている。
何もしたくない。
意欲がない。
スマホを見てダラダラとすごす。
ドラゴンボールやハンター×ハンター。
気が付くと2時間くらいは、あっという間に過ぎているのだ。
このまま、名もなく、地位もなく、人生を終えるのか。
目立たず、ひっそりと、中小企業のサラリーマンで人生を終えるのか?
本宮ひろ志の「俺の空」や「サラリーマン金太郎」の主人公のような人生を送るのではなかったのか?
美女。
権力。
愛情。
お金。
それらを、思う存分味わい尽くすのではなかったのか?
しょせん、漫画の世界を楽しむだけの器量だったのか。
「楽しい人生」であったのかもしれない。
満足している気もする。
「これで、よかったのだ」
そう思う日もある。
しかし、休日の自由な時間をベッドのうえでグタグタと過ごした後には、後悔の気持ち。
「もっと、積極的に何かにチャレンジして、わくわく人生をおくりたい」
そういう願いもある。
しかし、願うだけの現状。
体力や気力が20代や30代とは、あきらかに違っている。
これはしかたがない。
60歳か。
まずは気力だね。
そして体力だね。
気力と体力がないと、チャレンジ精神が発動しないわけだ。